台湾鉄道旅行記(その5)

 

 

平渓線の旅(続き) 〜十分老街散策〜

最後に十分で下車し、十分老街を散策しました。

写真、沢山撮れました。また、十分老街を通過する列車の様子も動画で1本撮りました。

 

左: 十分駅。駅舎内にはお土産屋もあり、ポストカードや模型などの鉄道グッズもあり、ファン必見。

右: 平渓線沿線観光案内図。            

 

左: 駅玄関から十分老街方面を臨む。ちなみにこの写真の中のとある食事屋さんで牛肉うどんをいただきました。

  味もボリュームも満点で店を経営している夫婦も大変フレンドリーでした。

右: 庶民の生活の中に鉄道が溶け込んでいるようです。早く列車が来るところを見てみたい!

 

瑞芳方面に向かって歩いていきます。

 

                                          しな垂れた柳がいいムードを出しています。

 

 

右: 野良犬。地元の人々とうまく共存してきたのか、人を恐れたり脅したりする気は全く無いらしく気持ちよさそうにまどろんでいました。

 

左: 十分駅方面を臨む。

右: 上の野良犬の写真の坂を上っていくとこんな感じの光景でした。

 

右: ここで列車の登場です!そこのけそこのけとばかりに街中を闊歩して来ます。

 

 

 

左: いかにも南国の鉄道といった光景。 

右: 一旦駅に戻ってみたものの、次の列車までまだ時間があります。

 

実は十分老街は少々大きな川の近くにあって、ホームからも吊橋が架かっているのが見えます。時間もまだあるのでその吊橋で川の向こう岸に行って見る事にしました。

 

ちょっとその前に・・・ 瑞芳から菁桐行の列車がやってきたので、動画で撮りました。

 

 

 

列車が行ってしまえば線路も生活道路のひとつ。 こんな風にスタンドバイミーやっても平気。

 

左: 吊橋は民家の脇の裏庭みたいな所から始まっています。 

右: 子供の秘密基地を探検しているみたいで何だかワクワクしてくる。

 

吊橋の入口。

 

左: 吊橋から十分駅方向を臨む。

右: この建物のボロさ加減、趣があって良い。(住んでいる人が聞いたら「よけいなお世話だ!」と怒られるかもしれませんが・・・)

                                                  

左: 吊橋の出口。 

右: チャイニーズな佇まいの休憩スペースがある。

 

左: 向こう岸から十分駅を臨む。 

右: 向こう岸の家並みはこんな風でした。

 

左: 列車の時間が近くなってきたのでここで引き返します。 

右: さっきやって来た列車から多くの客が降りてきたのか、十分老街はますます賑わってきました。

 

左: 約2時間の散歩でしたが、堪能できました。

右: 模型にしたくなるような古き良き鉄道の風景が平渓線にはあります。

 

左: 帰りの列車がやって来ました。

右: 和気藹々としたムードで、「日本で走るより幸せだったのでは?」とさえ思ってしまいました。

 

瑞芳駅での思い出

平渓線の乗車と十分老街の散策が無事終わり、写真も撮れて「本懐は成し遂げた!」と安心し、帰りの列車では爆睡してしまいました。

また、SDカードの残量もそろそろ足りなくなってきて、十分〜瑞芳までの動画は残せませんでした。

それでもじゅうぶん多くのネタを仕入れることができたことと、鉄道員や沿線住民たちの人情に触れることもでき、大満足でした。

さて、終点の瑞芳駅に着き、眠気の覚めやらぬまま列車を降りたとき、一人のおじいさんに日本語で声をかけられました。

「あなたはどちらまで行かれますか?」

突然で最初は少々びっくりしましたが、台鉄のマークの入った腕章と上着を付けていたことと、何より感じの良い人柄だったので、

次の目的地である「基隆」と答えると、「基隆ですか、それではこちらへどうぞ。」と丁寧な日本語で、基隆行き電車の到着するホームへ

案内してくれました。

話によると、そのおじいさんはボランティアで観光客の案内をされているとのことでした。

基隆行きの電車が来るまで30分ほど時間があったので、日本のどこから来たかとか、職業は何をやっているかみたいな基本的な話題から始まり、

その後台湾と日本についていろいろな話をして盛り上がり、あっという間に30分という時間は過ぎてしまいました。

話の中で印象的だったのが、おじいさんが駅の線路脇にある倉庫のような住宅のような古い建物を指差し、

「あそこにある建物、向こうからここまで、全て昔日本人が残してくれた財産ですよ。」

と仰られたことでした。その当時、私にはかつて日本が東アジア諸国に対して行ってきた日本統治というものがどういうものだったのか、

また統治のあり方が国ごとにどのような違いがあったのかについて知識が殆ど無く、「いえいえ、恐れ入ります・・・」といった反応しかできませんでした。

見た限り、おじいさんも正直かなりお年を召されているようで、日本及び戦後の中華民国による2つの統治時代を経験している世代として、

後世に伝えたいこともあったのかもしれません。

このように、かつて日本と接点のあった国や人間と実際に触れることで、「歴史について少し学んでみたいな」という気持ちも生まれ、

名所めぐり・食べ歩き意外の大切な収穫を今回の旅行によって得られたような気がしました。

(鉄ヲタサイトなのにやけにマジメな話になってしまいましたが・・・)

 

以上で台湾鉄道旅行記その4、5平渓線の旅は終わりです。

次回は基隆の風景、地下化される前の松山駅での駅撮り写真をご紹介したいと思います。

 

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