韓国鉄道旅行記(その3)

 

63ビルディングからの眺め

朝から昼過ぎまでずっと列車に乗りっぱなしだったので、少しは観光らしいこともと思い、新吉から地下鉄5号線に乗り換えて

国会議事堂も存在するという韓国の政治・経済の中心地、汝矣島に行きました。汝矣島はオフィス街がメインで観光的要素は

それほど多くありませんが、桜の季節になると素晴らしい花見スポットになるそうです。

私が訪れたのは夏なので桜は見れませんでしたが、もうひとつの名所である63ビルの展望台に登りました。

 

展望台からはソウルの街が一望できるほか、京釜線を見下ろすことができます。

地下鉄直通の緩行線車両、アメロコ牽引の客車列車、KTXなどなど、多種多様な車両が頻繁に行き交う姿は巨大な鉄道模型のレイアウトみたいで

鉄道ファンにとっても楽しめること請け合いです!展望台にはコーヒーとか売っている売店やテーブル席もあるため、絶景を眺めながら

午後のティータイムを過ごすのも一興でしょう。

左:鷺梁津駅周辺。手前に見えるのは鷺梁津水産市場。

右:反射してしまった・・・orz

売店で買ったアイスコーヒーを飲みながら、しばし走る列車を眺める。鉄道ファンにとっては最高の贅沢!

左:全長1.2kmの漢江(ハンガン)鉄橋。

右:緩行線最古形式の1000系がやってきました。

トングリ走ってます。

日本的デザインの緩行線車両が並んでいる横をTGV型のKTXが通過。こういうギャップの激しい競演も模型の世界を髣髴させる。

ドイツ型電機牽引のムグンファが漢江鉄橋を渡っています。

 

南営(ナミョン)駅で最後の撮り鉄

1日が経つのは早いもので63ビルを出た頃はもう夕方。あと1、2時間もすれば辺りも暗くなって写真が撮れなくなる。

翌日は朝早い飛行機で帰国するので、すなわち撮り鉄は次韓国に来るまで(いつになることやら・・・)出来なくなることを意味する。

最後に何本か列車を撮って思い残すことの無いようにしようと、ソウル駅の1つ前の南営駅に降り立ちました。

 

左:1発目はKTXから。

右:次に来たのは111系セマウル。先頭側は旧塗色。

 

左:後ろ側は新塗色になっている。

右:常磐線快速をTGVが走っているようにも見えるひとコマ。

 

左:終点間際のためか徐行運転中のセマウル。

右:KTXが通過。

 

アメロコセマウル&アメロコ貨物。

 

最後に・・・

初の韓国、そして初の海外乗り鉄&撮り鉄も無事終了し、その夜、焼肉屋さんで一人打ち上げをしました。

当初は噂に聞く犬の肉を使った料理を試してみたいと思ってホテルの人に場所を教えてもらったのですが、あいにくその日は休業日。

その近くにあった豚肉専門の焼肉屋さんで食事を楽しみました。

(韓国の焼肉屋さんは日本のとは違い、カルビはカルビ専門、ホルモンはホルモン専用といったように分野ごとに特化しており、ひとつの店が

あらゆる種類の肉を扱ったりはしないそうです)

そこでも「韓国語があまりできないので日本語か英語は話せますか?」と訪ねたところ、たまたま居合わせた日本企業でお勤めの

現地の常連さんに「日本人ですか?Wellcome to Korea!」ともてなされ、おすすめのメニューや量や値段について日本語と英語で親切に

教えてもらえました。そして会計のときに店員のオバちゃんに「マシッソッソヨ!(おいしかったです)」と言ってあげたらとてもうれしそうな笑顔で

「遠いところからはるばるとありがとう」といった感じで肩に手を置いてくれました。とてもアットホーム感のあるあたたかい思い出です。

 

昔と比べるといくらか融和的になってきたものの、政治的・歴史的な事情などもあり相互のマイナス感情も根強い日韓ですが、韓国もやはり

人の子で成り立っている国家、日本と変わらないもてなしの精神や人情があるものだとつくづく感じさせられました。

正直、私も韓国で良い扱いばかり受けたわけでなく、日本人だとわかると睨まれたりとかも多かれ少なかれありましたが、それと同じかそれ以上の

数だけ暖かい人情に触れられたのも事実です。旅行などで実際に韓国の人といろいろ接点を持ってみるとニュースやネットなどで普段言われている

のとは違う一面を見られるかもしれません。

 

エピローグ

先日、宮脇俊三著「シベリア鉄道9400キロ」(1985年 角川文庫)を読みました。

それによると、戦前の一時期、日本の東京から寝台特急「富士」で下関まで行き、そこから連絡船で釜山まで渡り、

ソウル経由で朝鮮半島を縦断して中国、ロシアを通ってモスクワまで乗り継ぐ「欧亜連絡」というルートがあったそうです。

調べてみたところ、韓国では大邱(テグ)、大田(テジョン)、水原(スウォン)を経由しており、まさに今回乗った京釜線を

通っていたことになります。

これは日本植民地時代の歴史的事情も絡んで来ると思うので深く触れるつもりはありませんが、ただ純粋に鉄道趣味的な

観点で見る限りでは、今回旅行で訪れたソウル、大田、水原といった駅が日本の東京駅、横浜駅、さらにはうちの近くの

茅ヶ崎駅とも一部海路を挟みながらも同じ1本の線の上で繋がっていた時代があったのかと思うと感慨深くなってしまった次第です。

私の無計画で拙い旅行記の締めくくりにはちょっとスケールが大きすぎるような気もしますが・・・

 

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